【世界の偉人伝説】ロシアが生んだ文豪!ドストエフスキーという生き方!-東京占い無料幸運-生活情報-Live a Life-無料幸運-東京占い無料幸運-TwitterFacebook0はてブ0Pocket0LINE 2019.08.29みなさんは、ドストエフスキーという名前を聞いたことがありますか?ドストエフスキーは、いっこうに北方領土を日本に返してくれないロシアが生んだ世界的な大文豪です。ドストエフスキーは、凄いです。その代表作は、「罪と罰」、「貧しき人々」…数えればきりがありません。ドストエフスキーは、幼少期から凄い読書家で学校を落第するほど世界の文学作品を読み込んでいました。そんな彼も幼少期は、ロシアを心から愛する愛国者であり、彼が落第した学校も陸軍工兵学校でした。落第の原因は、読書のし過ぎで多感な17歳で学校を後にします。その後、ドストエフスキーは、24歳で「貧しき人々」を発表して、それから体制転覆の政治運動にのめり込み、1849年、死刑宣告を受けます。みなさん!死刑宣告ですよ。死ぬんですよ!ドストエフスキーが青春を送った当時のロシアは、混乱期であり、若い人が、このような事件に巻き込まれることは珍しくはなかったようです。しかし、ドストエフスキーは、運よく、ロシア皇帝の計らいで、死刑を免(まぬが)れます。そのかわり、死刑を免れたドストエフスキーは魂も凍るシベリアの収容所に送られます。ドストエフスキーは、そこで聖書を片手に四年間、獄中生活を送ります。四年間!その後、刑期を終えたドストエフスキーは、その獄中経験を「死の家の記録」として1861年に発表します。それから、ドストエフスキーは、精力的に長編小説を発表していきます。観念的で自己中心的な青年が高利貸しの婆を殺す「罪と罰」は、44歳に新聞連載の小説として世に出ます。さらに「白痴」、「悪霊」、「カラマーゾフの兄弟」などを書いて、60歳で死にました。是非、人生に悩みを抱えている十代~二十代前半の青年は、ドストエフスキーの世界に触れていてください。必ず何かの収穫があるはずです。Tweet